真鶴散策

カフェのスタッフとする
「次休みは何するんですか?」の雑談に、

3週連続くらいで
「家の掃除して近くのカフェに行こうかな」と答えてしまい、
先日の休みは少し遠出をして神奈川県の真鶴半島に行きました。

熱海とも程近い神奈川県南部の港町、真鶴町。自分の中では小学生の頃に家族旅行で行ったっきりの土地であり、伊豆に越してきた後も東京方面に出かける際に通過する街でした。

いつもは通り過ぎてしまう駅前のパーキングに車を停め、最初に地域のコミュニティセンターへ。

ちょうど真鶴町と明治大学の建築学科の学生さんのまちづくりに関する展示会が開かれており、真鶴町では昔からの港町の生活風景を守るための独自のまちづくり条例、「美の基準」を設けていることを知りました。

「美の基準」では、町、町の人々、町を訪れる人々、町で開発をしようとする人々がそれぞれに考え、実行していくべき事柄が8つの大きな基準と69の小さなキーワードで書かれています。

例えば8つの基準の一つ「場所」では、
“建物は場所を尊重し、風景を支配しないようにしなければならない”と綴られており、
熱海の景観を悪い例としてあげていて中々にシニカル。

個人的に好きだった項目と文章は、

「ほどよい駐車場」
広大な駐車場は人間の土地を台無しにする。

「大きなバルコニー」
奥行き90cmほどのバルコニーで行える行為はないに等しい。

「小さな人だまり」
日常生活の中で人はいつでも小さなたまりを作って立ち話をはじめる。町の噂、自慢話等は大変楽しいものである

何かを禁止したり、具体的な数値を取り決めるではなく、詩的でユーモアある言葉がスーッと情景を想像させてくれます。

一つ一つは他の町でも探せば見つけられる様なぼんやりとした魅力かもしれません。


ただ、ぼんやりした魅力をしっかり言語にして共有してきたからこそ、商業施設やマンションなどの不自由を埋める為のまちづくりにも負けなかったのかなぁと感じました。

以下、僕が街を歩いて見つけられた美の基準の項目です。

●斜面に沿う形
建物はできるだけ大地を壊さず斜面地に逆らわないように計画する

●実のなる木
ない実のなる木を見て嬉しく人はいない

●触れる花
道路と敷地の境界には通人をもてなす花を植える

●静かな背戸
人だらけの喧騒の中で働く者にとって自然な状況で静かに散策できる場所は魅力的である

30年ほど変わらずに継承され町の生活風景を守ってきた69の項目。最後の「眺め」のページには”美しく豊かな眺めはそれぞれの心から創られる”とあります。

実際にこの町を歩いてみて僕が守っていきたい眺めを1つ付け足せるとしたら、

●幸せそうな猫
猫が安心して眠る事ができ、赴くまま散歩できる町はいい町

わた

地球の歩き方


こんにちは☺︎


私は最近、ニュージーランドという国から帰ってきたのですが、つくづく地球に驚かされてきました。


日本にいると私たちは地球に生きていることを忘れてしまいます。
そもそも地球について考えることもないほど、忙しない毎日をおくってしまうでしょう。

見渡せば街があり、そこには人工物で溢れています。
それがあたりまえの毎日なのです。
今まではそれに疑問を持つことも、有り難く感じることも、はたまた反対に不快感を感じることすらなく、それは私にとって日常でした。


しかし、ニュージーランドの、あの手付かずの広大な大自然を知り、そこで生きていると、

“あぁ、私は地球に生きてるんだなぁ”

と感じる機会がたくさんありました。


そして、そのありのままの地球の美しさに感動すると同時に、その広大すぎる自然に少しゾッとすることもありました。



こんなに美しい星で生きているんなら、もっとその恩恵を享受しないと勿体無い!

今の私の夢は、たくさん地球を旅することです。

はなか

どこまでが湘南?

先日、初めて寒川神社にいってきました。

全国でも珍しい八方除の神社で、
1月ということもあり、参拝客で
想像以上に賑わっていました。

茅ヶ崎駅から厚木へと向かう相模線という
ローカル電車も、知ってはいたものの、
おそらく初めて乗りました。

近くに住んでいると、
実は、全国的に有名なスポットも
行ったことがなかったりするものです。
箱根や熱海温泉も近くにあるけれど、
なかなか訪れる機会が少ないですしね。

久々に訪れた茅ヶ崎は、
静かな住宅街にサーファーのお店が
ちらほら点在している街並みで、
THE湘南な雰囲気が漂ってました。

そもそも湘南とはどこからどこまでなのか?
その定義はいまだ曖昧なようです。

調べてみても、「相模湾沿岸らへん」としか書かれておらず、
人によっては、横須賀から湯河原までを湘南とする人もいれば、逗子から二宮までとする人もいます。
ただし、車のナンバーは、小田原周辺にも
「湘南」ナンバーが多いことから、ほんのり湘南が残っていたりします。

そんな湘南論争を度外視しても、
茅ヶ崎は、誰がなんと言おうと、
王道の湘南って感じがしていいですね。

かとう

ドリップ・トリップ

家で自分に淹れる珈琲に関してはしばしば、人生の楽しかったことを思い出しながらお湯を挿す事があります。

「なんとなくおいしくなりそうだなぁー」
とフワっとした理由からなのですが、
味は正直…変わらない気はしてます。

ただ、お湯がサーバーに落ちる4分程の考え事としては丁度いい長さなのです。

“楽しかったこと”とテーマを決めて記憶を掘り返すと幸いなことに家族や友人との思い出が浮かんできます。


小学4年生の秋頃の僕は、体育の縄跳びの
授業での”縄跳びマスター”の称号が欲し
かったので帰宅してから友達と遊ぶまでの間、マンションの共用廊下ではやぶさの
練習をするのが日課でした。

その日も帰宅してランドセルを玄関に放っぽったまま靴箱の取っ手に掛けてある縄跳びを手に外に出ます。

ヒュン、ヒュン、タン…
ヒュン、ヒュン、タン…
ヒュン、ヒュン、ピシっ、タン。

いつも数回は成功するのですが、
項目にある15回以上を本番までに
跳べるようになるかは黄色信号でした。

うまくいかないもどかしさを持ちながら
だらーんと廊下の欄干に体重を預け、
縄跳びを宙に垂らし街の景色を眺めます。


不意にクッっと縄跳びが引っ張られ、
驚きながら感触の先を見ると
1つ下の階に住む同じクラスの女の子が
「何してるのー?」
と顔を覗かせていていました。

「はやぶさの練習してた」

「来週テストだもんね」


辿々しく何でもない会話なのですが
それぞれマンションの8階と9階から
家路に着くクラスメイトや隣町へ行く
バス、駅に向かう人とそれを乗せて
都心へ向かう電車など、流れる街の
景色を眺めながら話す空間が特別に
感じました。

その日からは縄跳びの練習をして、
道の向こうからその子の帰宅が見えたら
縄跳びを垂らし、学校であったことを話す
ことが日課になりました。

小5の秋、小6の秋と縄跳びの授業期間だけ
密に話す不思議な関係が続きましたが、
中学校に上がってからは縄跳びの授業が
なくなり、僕もとっくに縄跳びマスター
になっていたので縄跳びを垂らして2人で話すこともなくなりましたが、今となっても大切な記憶です。

わた

はじめまして


こんにちは、シライです。

初めて、CAFE KICHIブログを書かせて頂きます!

最初に何を書こうかなと考え、

「まずはなぜここで働きたいと思ったのか」

を綴ってみようと思いました。

まず、働きたいと思った理由は、

私は元々、時間に忘れるくらい落ち着いた居心地の良い雰囲気が特に好きで何回か行ってました。

友達と熱海に行こう、でも行って何する?って時に「おすすめのカフェあるからそこ行きたい!」と、いつも「Cafe kichi」を友達におすすめして行っていたくらいです。

こんな好きな空間で仕事ができることは最高なことなのでは?モチベーションに繋がるのでは?

と考え、働きたいと思いました。

また、働いてて感じていることは、Cafekichiのスタッフだけでなく、お客さんも優しいことです。

毎回提供して「ありがとうございます」と笑顔で言ってくださる時は、いつも心が暖かくなります。帰る際に、運びやすいようにグラスを重ねてくれる気遣ってくださるお客さんもいます。

このように、優しい環境で働けてることの有り難さ、やりがいを感じてます。

まだまだ未熟ですが、

これからよろしくお願いします!

シライ

人との出会い

私は周りの人に恵まれていると常々思います。

伝え方が少し難しいのですが、私は″人間″という生き物がとても好きです。

よく他人に興味がないと言われることが多いのですが、まったく逆で正直興味しかありません。

1人1人に短所・長所があり、考え方も違う。 それだけで全ておもしろいと思えます。

先日、浜松にいる友人の元へ遊びに行きました。 同じ静岡県なのに真反対なので距離がありますね。

2年ほど前に半年だけ住んでいたのですが、浜松って本当にいい所だな~と思います。何より住みやすいです。

会うのが数ヶ月ぶりの友人もいましたが、いざ再会すると″これだな~″と。″そうそう、この感じ″と思いました。

言語化するのは難しいですが…とにかくよかったです。時が経っても変わらぬ関係でいられることが幸せですね。

ここ最近環境がガラリと変わり、あたりまえだと思っていたことがあたりまえじゃなかったんだなとようやく気付きました。人との出会いに感謝し、新年を迎えたいと思います。

さとう

将棋をやってみる

今年もあと1ヶ月に迫りましたね。
みなさまは、どんな一年でしたか?

さて、今年の流行語にもノミネートされた「藤井八冠」。
連日流れる将棋のニュースを、
「自分はルールを知らないし、興味もないなぁ。」
と、最初は他人事として見ていました。

しかし、ふと疑問が湧き上がり、なぜ藤井くんが将棋に没頭し、
人生を賭けているのか気になりました。
そこで、スマホアプリの将棋ゲームをダウンロードし、
基本的なルールを学び始めました。
勉強したというような大袈裟なことではなく、
ほんの触れてみたのです。

すると、ルールを知らなかった時よりも、
将棋に引き込まれる理由がわかってきました。

まず魅力の一つが、一手一手に因果応報があること。
自分自身が、次に進めた駒。
それが分岐点になって、勝敗が決まるのです。
「あ、間違えた。やり直し!」などはできないわけで、
自分が選んだ一つの道をつき進むしかないところが、
「人生」と重なるなぁと感じたのです。

さらに面白いのが、意外と心理戦であるということ。
駒を配置する場所や、タイミングで相手を動揺させたり、
心を乱すこともあるようです。
頭脳だけでなく、メンタルとセンスを駆使して、
試合を制していくのですね。

私にとって今年は、何事も少し目線を変えるだけで、
新しい発見につながるのは面白いなぁと感じる1年でした。
来年も、新しい発見をたくさんして、ワクワクできる一年にしたいです。


かとう

名曲喫茶へ

渋谷という街がとても嫌いなのですが、
その日はどうしても行きたいお店があり、
「まだ開発してるのかよ」などと心の中でボヤきながら、数年ぶりに渋谷駅の改札をくぐりました。

なんとなくハチ公を見に行ってから、
SIBUYA109を通り過ぎ、猥雑さとレトロさがいい具合に混ざり合う道玄坂の歓楽街に
「名曲喫茶ライオン」はひっそりと佇んでいました。

名曲喫茶についてざっくり言うと、
クラシック音楽を格式高い音響装置で聴きながら珈琲が飲める喫茶店であり、
まだレコードが高価で個人で購入する事が難しかった1960年頃に流行し、
次第に一般家庭にもレコードプレーヤーやミニコンポ、ラジカセなどが普及すると
姿を消していった、そんな背景があります。

Wikipedia感満載の説明の通り、自分もはじめて訪れるジャンルのお店であり、
クラッシックの知識もありません。通りの看板には創業1926年と書かれており、
お店の入り口も只者じゃない雰囲気でしたので扉を開けるのには少し勇気がいりました。

店内に入ると迫力のある音でクラッシックが流れており、音楽の邪魔にならない小さめなボリュームの”声”とそれを補填する”目線”で「いらっしゃいませ、お好きなお席へどうぞ」と案内をされ、目についた1階の席へ座りました。

お水と演奏のプログラムを持ってきてくれた店員さんに珈琲を頼んでから周囲を眺めます。


店内は1階と2階の吹き抜けになっており、そこに鎮座する3メートルはあろう巨大なスピーカー。レトロな赤いソファと年季の入った木のテーブルのナイスなペアの座席は全てスピーカーと向き合えるように配置されていて映画館のような、チャペルのような雰囲気でした。

演奏を楽しむために会話と店内の撮影禁止のルールがあることから他のお客さんも1人が多く、淡々と本のページを捲る人、目を閉じて音楽に耳を傾ける人、書き物をしている人などそれぞれがこの空間を愉しんでいる様子でした。

僕も先程までのソワソワした気持ちは珈琲が届く5分程の間に消え、
渋谷の喧騒から隔絶されたこの空間にチューニングされたような心地がしました。

華やかなドヴォルザークのスラヴ舞曲が流れる中テーブルに運ばれてきた珈琲は
熱々で深めな味わい。「どーぞごゆっくりと」の気遣いを感じます。

一口飲んでは、シックな内装を見渡し、もう一口飲んでは迫力のある音に耳を澄ませたりと、一口の余韻を大事にできる一杯でしたので読書をして過ごすことにしました。

僕は本を読んでいる際、展開に引き込まれそうな時ほどいったん没入している本から顔をあげて、それまでの展開の整理だったり、この後来るであろうキツい一文に備えたりするのですが、その顔を上げて帰る現実が薄暗くクラッシックが流れているこれまた1人の異空間であり、とても不思議な読書体験でした。

珈琲のおかわりをし長居していると自分も他のお客さんも自然とカップとソーサーのあたる音や、席を立つ際の足音など抑えていることに気が付き、それぞれが1人になる為の連帯感の様なものを感じ素敵なお店だなぁとしみじみ。

足元には幾つもの地下鉄が張り巡らせられていて、地上では真っ直ぐ歩けないほど人と交錯するほとぼりの冷めない渋谷。そんな街において束の間の時間を1人でやり過ごせるそんな魅力のあるお店でした。

自分の中で渋谷という街が、嫌いな街から行きたいお店のある街に変わった大きな1日でした。

わた

 

充実感を味わう

突然ですが、私は自分の機嫌をとるのが得意なほうだと思っています。

機嫌のとり方は人によって様々だと思いますが、私の場合、大体は″美味しいスイーツを食べる″と解決します。

極限までお腹を空かせた後に摂取する糖分は最高ですよね。

自分の機嫌をとる上で大切なことは、いかに″充実感を味わうか″ ということだと私は思います。

私は、休みの日には何かしらしたいタイプなので、よく1人で出掛けているのですが、綺麗な空や可愛い花を見つけて写真を撮ったり、開店してすぐのカフェに行ってくつろいだりしています。

行動範囲が広ければ広い時ほど、

「なんか自分…すごく充実してるな〜…」と感慨に浸ってしまうのです。

先日KICHIではお休みをいただいていたので、東京に遊びに行ってきました。

会うのが1ヶ月ぶりの友達と合流し、代官山へ

◾︎ アートギャラリー Lurf MUSEUM ◾︎

中村桃子さん 個展「nestle」

◾︎ 併設されているカフェ ◾︎

ここは以前も訪れたことがあるのですが、期間ごとに違う作家さんの作品やグッズを展示しているので、何度訪れても毎回ときめいてしまうような場所です。

可愛い空間にシャッターボタンを押す手が止まりませんでした…

この日は代官山、表参道、丸の内… と朝から動き、

たくさん歩いて、

たくさん話して、

たくさん写真を撮って、

とても充実した1日になりました。1人で出掛けるのも楽しいですが、友達と出掛けると充実感が増しますね。

さとう

心地いい場所

やっと、、、暑い暑い暑すぎる夏が終わり秋らしい季節になってきましたね。

私は秋と冬が大好きなので近頃は五感が疼いています(笑)

まさに”心地がいい季節だ。”と心が叫んでいる。

居心地がいいとか心地がいいって素敵すぎる言葉ですよね。

「心が穏やかに過ごせる場所」

そんなことを毎年やってくるこの季節にしみじみ感じます。

私は秋や冬のお洋服が好き。

それが理由で秋と冬が好きなのですが、

でも今年は自然の風景や、風にすごく魅了されています。

三島に引っ越してきて初めての秋。

なんて気持ちがいいのかしら!と綺麗な景色や心地の良い風を毎朝起きて感じる幸せ。

 

雨が降った後の公園の緑や、水が綺麗なだけにお水の流れる水面を永遠と見てしまう私。

揺れる木々や、早く起きて差し込む光も大好き。

人間は自然に叶わないとは本当だなと思うのですが、

私はいくらお家でYouTubeを見て笑うことでごまかしても、なかなか本当に心から癒されることはない人で…。

でも自然を見たり感じることは心から休憩しているような気になれます。

皆さんにとっての”心地がいい”はそれぞれ違うかもしれません。

忙しい毎日に疲れてしまったら、自分流の”心が穏やかになれる場所”をひとつ探してみてくださいね。

すぎみ