そんな話をしたいと思います。
先日友人達と飲みに行った時に免許証を見せ合う謎のノリになり、ひとしきりAT限定なのをいじられた後、”普自二”の文字を見て、そーいえばバイク乗れるんだったと、忘れてはないけど気に留めてはいない記憶がふわっと思い起こされる経験がありました。
もともと仮面ライダーに憧れてる少年でもなければ、どこにだって行けるのにテリトリー内で騒音を撒き散らす方々に憧れる青年でもなく、バイクなんて縁遠い人間だったのですが、
高校を卒業してすぐの頃たまたまバイク屋の前を通りかかった時に友人が発した「バイク乗りたいなー」の一言からノリとしか言い表せない速さで事が進み、3ヶ月後には自宅の駐輪場にピカピカのバイクが置かれていました。
今思うと19歳という年齢は、学生時代に打ち込んでいた事に区切りをつけ、また自分のお金を持ち出す年齢で、そのくらいの年に出会うものが一生の趣味になったりするのかなと感じます。
自分が手にしたのはYAMAHAのセロー250というオフロードバイク。山道を走行するようなバイクで、街を出て林道を走れば自然の中に潜り込んでいける感覚がありました。
好きな小説の一文に、「世の中にはね、一人でしかできんこともあるし、二人でしかできんこともあるんよ。それをうまいこと組み合わせていくのが大事なんや」と言うセリフが出てきます。
自分の場合は1人になりすぎている時に思い出す金言なのですが、バイクに乗っていた時期はこの”1人”と”複数”のバランスがうまく噛み合っていたように思います。
綺麗な景色や美味しい食べ物を求めて友達とツーリング。インカムを繋いで話す何でもない会話は、止めどなく前から後ろに流れる景色よりも流暢でした。
最低限の荷物を積み一人でキャンプや林道へツーリング。大きな自然に小さな自分一人、そんな空間で過ごす時間は普段よりもゆったりと滞留していました。
恋愛においても「助手席に座りたい」って人よりも「バイクの後ろに乗りたい」って人との方がうまくいきやすかった気がします。
そんな何もかも上手くいく乗り物も伊豆に越してきて暫くして手放してしまいました。
家具一つ運べなければ、買い物帰りはいつも背中のリュックから長ネギがはみ出していたし、愛猫をバイクの荷台に乗せて動物病院に連れて行くわけにもいかず、とにかく生活に馴染まない…
普通に生きていれば特別出る必要もない東京という街から自分を伊豆に運んできてくれた時点で役目は果たしてたなと割り切り、手放す時は一瞬でした。
ただ、いつかまた日常とバイクがピタっと噛み合うタイミングがくると思うのでその時を楽しみに、今日も颯爽とすれ違うライダーを横目に車で快適にカフェキチへ通います。
次はハーレーなんかもいいかなぁと思うので、見合う様な渋い歳の重ね方をしていきたいものですね。
わた