ドリップ・トリップ

家で自分に淹れる珈琲に関してはしばしば、人生の楽しかったことを思い出しながらお湯を挿す事があります。

「なんとなくおいしくなりそうだなぁー」
とフワっとした理由からなのですが、
味は正直…変わらない気はしてます。

ただ、お湯がサーバーに落ちる4分程の考え事としては丁度いい長さなのです。

“楽しかったこと”とテーマを決めて記憶を掘り返すと幸いなことに家族や友人との思い出が浮かんできます。


小学4年生の秋頃の僕は、体育の縄跳びの
授業での”縄跳びマスター”の称号が欲し
かったので帰宅してから友達と遊ぶまでの間、マンションの共用廊下ではやぶさの
練習をするのが日課でした。

その日も帰宅してランドセルを玄関に放っぽったまま靴箱の取っ手に掛けてある縄跳びを手に外に出ます。

ヒュン、ヒュン、タン…
ヒュン、ヒュン、タン…
ヒュン、ヒュン、ピシっ、タン。

いつも数回は成功するのですが、
項目にある15回以上を本番までに
跳べるようになるかは黄色信号でした。

うまくいかないもどかしさを持ちながら
だらーんと廊下の欄干に体重を預け、
縄跳びを宙に垂らし街の景色を眺めます。


不意にクッっと縄跳びが引っ張られ、
驚きながら感触の先を見ると
1つ下の階に住む同じクラスの女の子が
「何してるのー?」
と顔を覗かせていていました。

「はやぶさの練習してた」

「来週テストだもんね」


辿々しく何でもない会話なのですが
それぞれマンションの8階と9階から
家路に着くクラスメイトや隣町へ行く
バス、駅に向かう人とそれを乗せて
都心へ向かう電車など、流れる街の
景色を眺めながら話す空間が特別に
感じました。

その日からは縄跳びの練習をして、
道の向こうからその子の帰宅が見えたら
縄跳びを垂らし、学校であったことを話す
ことが日課になりました。

小5の秋、小6の秋と縄跳びの授業期間だけ
密に話す不思議な関係が続きましたが、
中学校に上がってからは縄跳びの授業が
なくなり、僕もとっくに縄跳びマスター
になっていたので縄跳びを垂らして2人で話すこともなくなりましたが、今となっても大切な記憶です。

わた